今朝のニュースで、桐島容疑者(東アジア反日武装戦線のメンバーとして指名手配されていた人)が死亡した事が流れていました。
この辺の事件(連続企業爆破事件)を覚えて居る人も少なくなった(そもそも、その当時の人でも覚えていない人が多いかも(もっと強烈なのが有ったし))ようですが、有名な”もはや戦後ではない”との宣言から10年も後の事です。まだまだ日本全体が貧しかった(少なくとも私の回りは)時代だったような気がします。なんせ、おやつとかは自力調達が普通(その辺の木の実や草や魚や虫を捕って食べるとか)だったし(なので、小学生でもナイフを携帯しているのが普通)、村の集まりでは、中学生とかが駐在さんと一緒にビールを飲んでいたし。
以下の駄文は、単なる思い出なので、余り意味は有りません。
通学時に、交換した碍子(66用とかの大きいやつ)が放置されていたらひらっておく。
農協(今のJA)へ行って、除草剤(銘柄は伏せます(販売中止ですけど))を買って来る。
炭焼き小屋から良く焼けた炭の欠片をひらってくる。
上記で、黒色火薬が作れます。
プロパンを扱っている所で、XXXXをもらってくる。
XXからXXXXをもらってくる。
(上記の2つは、現在でも通用するので伏せ字)
これで作った物で、地面に穴を空けたり、川で魚を捕ったり(効率が悪いのですぐ止めた)etc・・・・
今では、有り得ない事をして遊んでいたもんです。時代が時代だったのと、田舎だったのだと。
で、この事件が起きた事をきっかけに止めました。
事件で被害に遭われた方も、起こした方も、いずれも時代の被害者なのではと思う事も有ります。ご冥福をお祈り致します。
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